ツイッターを通して知り合ったウギスと会った。
ロキシン神社」に行ったけど、
渡し守マーリスさんと連絡がとれず
島に行くことができなかったことを伝えると
「連絡が取れなくて大変残念。
島の佇まいを眺めながら、
社の遥拝ぐらいはできたのですかね」
と聞いてくるくらい日本語の上手なラトビア人だ。

はて、「遥拝(ようはい)」?辞書で調べると
「遠くへだたった所から拝むこと」とある。
何割の日本人が「遥拝」コトバを知っているだろうか?

さて、そんなぼくよりも日本語を知っている
ウギスは、写真家で、日本語教師、翻訳家、案内士、
ラトビアの研究を行っているマルチタレントな人物だ。

ラトビア神道について話してくれた。
2016年のラトビア人の宗教は、
22%がキリスト教、20%がラトビア神道、
4%が自然崇拝、1%が神を信じる、
3%がその他、50%が無宗教だという。

リガの街を歩くと教会ばかりだったので、
こんなにもラトビア神道が
信仰されていることに驚いた。

むかしからラトビアでは、キリスト教でなく
ラトビア神道が信仰されていて、
森の中で儀式や信仰が行われていたと言う。
なので、教会などの建物は必要ではなく、
すべての自然(神木)が信仰の場所になる。

ここまでキリスト教が広がっているのは、
他国が広めたからなんだけど、
そのやり方が残忍だ。
ラトビア神道の信仰を行っていた場所を壊し、
反対するものを殺し、
その上にわざわざ教会を建てて広めたのだ。

だから、生き残ったむかしの人は、
十字架は殺戮の証で、
十字架をいいものと思わなかった。

なので、ラトビアにある教会を見上げてほしい。
十字架ではなく、トリだとかネコかがいる。
十字架が建っている教会は、
新しく作られたものかもしれない。

もともとラトビア神道は宗教だと思われていなかった。
生活になじみすぎて、生活様式だった。
今でも、最低でも春夏秋冬の4回、
多くて8回のお祭りが行われている。

ラトビア神道についてうれしそうに話す
ウギスに聞いてみた。
「神道のおもしろいところってなんだろう?」

「今、世の中ではサステナビリティとか自然環境、
コミュニティーについて議論されているけど、
ラトビア神道には、それが昔から当たり前のように
あったんですよね。自然を大切にすることや、
お祭りによって人と人の絆があるんですよ」
ウギスは言う。

神道から学べることはたくさんありそうです。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
大切にしなければならないことは、昔からあるんですよね。

このときの場所/ラトビア リガ
現在地/日本 埼玉

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