ふと、思ったことを書いてみる。

上映時間10分の映画があったら、
あなたは映画館に観に行くだろうか。
あなたが好きそうな内容の映画だ。

チケットの価格は1800円と、
上映時間2、3時間の映画と同じ。
感動の質や量だったり、流せる涙の量も
同じという想定で考えてほしい。

本だったら、どうだろう。
200頁、300頁の小説と
同じ価格で同じ感動を味わえる、
10頁の小説を人は買うだろうか。

音楽だったら、どうだろう。
2、3分の楽曲と同じ価格で
同じいい気持ちにさせる、
10秒の楽曲を買うだろうか。

情報がビーチの砂粒ほど盛りだくさんの時代、
こんなにも忙しい、忙しいといいつつ、
多くの人は、10分の映画より、
2、3時間の映画を選び、
10頁の小説より、
200、300頁の小説を選び、
10秒の楽曲より、
2分、3分の楽曲を選ぶんじゃないかなあ。

一回は行ったり、買ったりしてもいいと
思うかもしれないけど、
なんなんだろう、人間の量への執着心は。

ひとつは、時代における固定概念が働いてると思う。
映画ってのは、2、3時間だ。
小説ってのは、200、300頁だ。
楽曲ってのは、2、3分だ。
(大まかに言ってます)

いつの間にやら、基準ができていて、
同じ価格で、それより短いと損した気持ちになる。

でも、それだけじゃないだろう。

「あっ、これも同じだぞ」と見つけたのが、
人の寿命に対する考え方だ。

ぼくらは、できるだけ長ーく生きたいようだ。
天使のようなものが
突然あなたのもとへやって来て
「人生を濃密にしてあげるから、
寿命をあと1年にしない?」と聞かれても、
「うん、いいよ」とは言わないだろう。

「3倍にたのしい毎日にするから、
寿命半分にするのはどう?」と言われても、
「そうしよう」と簡単に乗らないだろう。

量に対する執着心が、
人間には深く染みこんでいるみたい。

「なぜか」について答えを出せたら
よかったんだけど、これは宿題として、
今日は、「人間には量への執着心があるぞ」
にとどめておく。

オマケとして、寿命には「健康寿命」と
言う考え方がある。
単純に言えば、健康で生きている時間のことだ。

いくら長ーく生きたいって言っても、
健康じゃないのに生きるのはつらいなあ。

これって、映画とか、小説とか、楽曲とかの
量にも言えると思う。
それぞれ時代に合った「健康な量」が存在する。

いくら長ーくがいいって言っても、
腰が痛くなるほど長ーい映画はいやだ。
人生で読みきれないくらい長ーい小説はいやだ。
眠る時間がなくなるほど長ーい楽曲はいやだ。

知らず知らずに、「健康寿命」と
同じような「健康な量」を求めている。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
『MONKEY CLIMB』の文章は、
果たしてこの量でいいんだろうか。

このときの場所/アルバニア
現在地/エチオピア

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