どうやら、ぼくは、機械でつくられた音よりも、
人間の体を使って、つくる音が好きだ。
拍手の音や、足踏みの音、指をならす音が。
この発言に対して、
「一緒ですね」と、にこりとする人もいれば、
「機械でつくられた音もいいんだよ」と微笑む人もいれば、
「機械の音のはほうが、おもしろいぞ」と、
教えてくれる人もいることでしょう。
「ゴッホより、普通に、ラッセンが好きー」と、
お笑いの永野さんが歌っているけど、
好きというものには、普通がない。
どちらを好きでもいいのだ。
普通を勝手に決めつけていることが、
このネタのおもしろいところかもしれない。
話があちらこちらに行ってしまいましたが、戻りまして、
なんで、ぼくは、この人間がつくる音
(勝手に)『人間音』が好きなのかなと思った時に、
リンダ・グラットンさんが『LIFE SHIFT』で
書いていた、脳の異なる領域の話と、
交差するではありませんか。
リンダさんは、セルフ・コントロールにおける
前頭葉と辺縁系の戦いについて、こう書いています。
脳の前頭葉は進化のプロセスで比較的最近に
(約15万年前)発達した領域であり、
これが人間とほかの動物の違いを生む。
認知的・合理的思考をつかさどるのが前頭葉なのだ。
しかし、脳にはもっと古くから存在する辺縁系という領域もある。
これは、人間の情緒的・本能的反応をつかさどる領域だ。
こじつけたのは、辺縁系が古くから存在していて、
人間の情緒的・本能的反応をするというところ。
つまり、音を楽しむとき、
自分の辺縁系が前頭葉に勝っているのだ。
古くから、音として奏でられてきた、
手の音だか、足の音だとかに、
脳が、本能として反応してしまうのだ。
ファレル・ウィリアムスさんの『Freedom』のように
人間音が取り入れられた音楽を耳にすると、
簡単に惹きつけられてしまう。
チョロいもんだぜ、我が本能よ。
ファレルさんは、機械音と人間音のミックスだとか、
新しさと昔からの部分(本能)の絶妙なバランスを、
音楽やファッションで遊んでいる人だ。
今日も、明日も、明後日も、いい日でありますように。
思考と本能の交わりって、おもしろそうですね。