大きな声ではいえませんが、
ぼくは、世界や日本で起きていた出来事や、
今、起きている出来事をよく知らない。
お姉ちゃんからはよく「世間知らず」といわれる。
そして、今これを読んでくれているあなたが
どんなひとか、なにが好きかさえ知らない。
「知らないということ」について。
民族学者、比較文明学者の梅棹忠夫さんは、
こんな風に言っています。
なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。
「こんなことも知らないのー?」という会話が、
会社や学校で、はびこっているなかで、
知らないことについて、
こういってもらえるのは、ありがたい。
ある対象を、知っているということは、
なにかしらの先入観をもって、その対象に接することになる。
出会う前に、あのひとは怖いなんてことを、
情報として手にしていたら、
「怖いだろう」という先入観のもとに接することなる。
やさしい部分を知る前に、仲良くなれない可能性もある。
知らないという状態は、中立的な立場だ。
ただ、知らないのが、サイコーというわけじゃない。
知らないということを開き直らずに、
知らないものに対して、
自分の足で、自分の目で触れて、自分の頭で考えて、
本を読み、また自分の足、目で触れて、頭で考える。
主観と客観をいったりきたり、
こんな風に対象に接することができたらいいですよね。
今週は、『勝手に梅棹忠夫さんWEEK』というとで、
小長谷有紀さんが編集した『梅棹忠夫のことば』から、
コトバをお借りして、いろいろと考えてみたいと思います。
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
知らないことからはじまります。よーい、どん。