熱心なキリスト教の人、怒らないでね。
イエス・キリストは本当にいたんだろうか?

キリスト教の人にしてみれば
「そんなの、いたに決まってるだろう」
と言うだろうし、
無宗教の人にしてみれば
「どうなんでしょねえ」と言うだろうし、
キリストの存在によって
自分の信じる宗教が成立しなくなる人は
「いないよ」なんて言うかもしれない。

ぼくは、「どうなんでしょうねえ」よりの、
いたかもしれないなあと思ってる
とてもふんわりとした人間。

ただ、キリストがいたとしても、
たとえ、いなかったとしても、
すごいなあと思ってるんです。

いたとしたら、復活するなんてすごいし、
たとえ、たとえ、いなかったとしても、
2000年以上前のキリストの物語が
今の時代の人間に伝わっていて、
キリスト教の人の心の支えになっているのだから
すごいじゃありませんか。

なんでこんなことを思ったかというと、
キリストが生まれたとされる場所
パレスチナ ベツレヘムの「聖誕教会
(Church of the Nativity)」と、
キリストが死んだとされる場所
「聖墳墓教会(Church of the Holy
Sepulcher)」に行ってきたのだ。

この場所について、日本の旅行ガイドブック
『地球の歩き方』には、生まれた場所か
死んだ場所か確かではないと書かれているという。
さすが、日本のガイドブック。まじめ。

でも、世界の何十カ国もの人びとが
毎日たえまなく、ここを訪ねているいる。
その場所を見るのに列に2時間近く並んだ。

エルサレムに来るひとりひとりが
キリストの物語を色濃くしているような、
そして今日これを語る、キリスト教でもない
ぼくまでもがキリストを語っている。

これが、ただ「昔々、キリストがいました。
キリストはみんなを救いました。おわり」
では、ここまで伝えられなかったと思うんです。

マリアや12人の使徒が登場したり、
エルサレムという場所で起きた出来事が
刻々と物語られていなければ、
こうも人びとのこころに、あたまに、
入ってこなかっただろうなあ。

物語ってすごいや。
人から人へと伝わっていくんだもん。

「最後の晩餐」をしたとされる場所にも
行ってきたんだけど、テーブルも椅子もない、
ただのすこし広い空間でした。

絵画の『最後の晩餐』というと
レオナルド・ダ・ヴィンチを想像する人が
大半だと思うんだけど、
「最後の晩餐」を題材にした絵が
いろいろあって、それぞれ全然ちがうんです。
画家が物語から想像した世界がちがうから。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
子どもの頃、マンガで読む偉人の物語はおもしろかったなあ。

このときの場所/イスラエル エルサレム
現在地/マダガスカル

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