今週は、勝手に永六輔さんWEEKというとで、
著書『変じゃありませんか?』から、
コトバをお借りして、いろいろと考えてみたいと思います。
で、「変」ということに関して言えば、芸能界ぐらい変なところはありません。逆に言いますと、変なことが常識で、正常では通用しないという部分もあります。まあ、常識はずれとか非常識とかっていう言葉もありますけれども、しいて言えば「反常識」常識に反することが堂々と通用していきます。逆に、それが通用しないようでは、芸能界ではなかなか生き残れない。たとえばタモリの黒メガネしかり、あるいは歌も下手、踊りも下手、芝居も下手というたのきんトリオが圧倒的な人気をもってしまうっていうようなことを、これは変だと決めつけるわけにはいかないというのが芸能界です。もちろん変には違いないのだけれども、変だということを認めないと芸能界というのは通用しません。
芸能界では、女性と男性の間の人も活躍しています。
そういうのは芸能界のいい変ですよね。
テレビ番組内では、イジられたりもしていますが、
女性と男性の間の人が当たり前に存在することを
子どものうちに認識できる機会があるというのが、
芸能界(テレビ)の変のチカラです。
そういう変はどんどん広がるといいなあと思います。
マスコミのインタヴューで、「今、○○さんに何と言ってあげたいですか?」と、その場で言わせるのは変だと思いませんか?
意地になって変えるべき変ではありませんが、
言われてみれば変ですね。
この現象は、「変」の3段重ねによって起きています。
メディアの変、芸能人の変、視聴者の変の3重構造です。
連絡手段のない、生きている人に対して、
テレビを通してメッセージを伝えるのは変ではないのですが、
記者の皆さまが、「故人○○さんに何と伝えますか?」と、
泣いている芸能人に語らせるのは、変です。
そして、その質問を当たり前のように受け入れて、
故人への大切な言葉をカメラの前で発言する
芸能人の方々よ、変ではありませんか。
そして、テレビの視聴者は、
まるで自分がその故人であるかのように
テレビに耳を傾けているのです。
ぼくたち(テレビの視聴者)って変じゃありませんか?
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
変が続く理由は、そこに変の構造があるからかも。