ジョージアのトビリシにある宿
「Lit hostel」に着くとすぐに、
イケメンのオーナーにワインを勧められ、
彼とワインで乾杯することに。

ぼくはお酒をあまり飲めないんだけど、
他の飲めるお客さんには、
飲み放題かのようにワインを注いでいた。

その日は、宗教的なお祝いの日みたいで、
カボチャやコーン、ピーチも振るまわれる。
太陽の日差しが段々とやわらかくなる
夕方前の時間から、なんてぜいたくなこと。

となりのアゼルバイジャンでは
「ロシア語を話せるか?」と
英語で喋りかけるたびに聞かれていたので、
カボチャを食べながらジョージアの人に
「ジョージア人は、ロシア語を喋れるの?」
と聞いてみた。

(後から知ったんだけど、この質問に答えてくれた
女性はジョージアに住むロシア人だった)

「年のとった人は、今でも喋れるよ。
今はロシアとの関係性(不仲?)もあって、
ロシア語を学校で教えるのをやめたんだ」
と教えてくれた。
英語は学校の授業のなかにあると言う。

アゼルバイジャン人が英語をしゃべらずに、
ロシア語を話せたのは、
関係性によるものだとわかった。

ぼくらはいつの間に近い人のことばを話している。
近いといっても、距離じゃなくて、
関係性の意味で近いだ。

ロシア語をしゃべる背景には、
ロシアを友としているから。
英語がしゃべる背景には、
アメリカやイギリスを友としてるから。
もちろん、植民地時代の名残だったり、
使うことを強いられている場合もあるだろうね。

近い人のことばを使っているというのは、
なにも国の言語だけじゃない。

文の語尾に「だぜ」をつける友だちと
仲がよければ、いつの間にやら
「それやったの、オレだぜ」と
語尾に「だぜ」をつけてしゃべるかもしれない。

「イノベーション」や「コンセンサス」だとか、
むつかしいカタカナことばを使う友だちや
仕事仲間がいれば、そのことばを使うのも
当たり前になってくる。

「小さい」を「ちっちゃい」という子どもと
一緒の屋根の下に暮らしていたら、
「昔はワルだったんだぞ」なんて
語っていたおじいちゃんでさえ、
「ちっちゃい」がうつっちゃうかも。

ぼくたちは、知らず知らずのうちに、
近い人のことばを使っているよ。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
日本語をしゃべれるのも、日本に近いから。

このときの場所/ジョージア トビリシ
現在地/ブルガリア ソフィア

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