フィンセント・ファン・ゴッホの
描く絵がぼくは好きだ。

ある美術館で絵を観ていたときに
「この作品、好きだなあ」と思って、
ふとアーティストの名前を見てみると、
ゴッホの作品だったこともある。

ひまわりとか、ゴッホの自画像とか
関係なく、彼の作品に惹きつけられてしまう。

ぼくがゴッホの絵を好きな理由のひとつは、
ゴッホが日本の浮世絵から
たくさんのインスピレーションを
得ていたことにあると思う。

彼はいつくもの浮世絵をコレクションして、
色を変えながら、模倣もしていた。
日本の絵について研究しながら、
日本に来たこともないのに、日本に心酔していた。

日本に惚れたオランダのシェフが
あっとうてきな試行錯誤を繰り返し、
日本の食材を活かして作った料理のように、
ゴッホの作品の中には、
ぼくが好きな日本が生きている。

アムステルダムのゴッホ美術館に行って、
ぼくはさらにゴッホのことが好きになった。

考えられないほどの試行錯誤を繰り返した
アーティストだと知ってしまったからです。

ゴッホといえば、死んでから評価された
アーティストとしても有名です。
絵を描いていた当時、絵も売れず、
モデルに払うお金がないために、
数多くの自画像を残しています。

ゴッホ美術館の一階には、
数多くの自画像が展示されていました。
この自画像を観ていて、ゴッホの凄まじい
試行錯誤の量に目眩がしました。
ゴッホは、ここまでやっていたのかと。

それぞれの自画像がちがうんです。
もちろん描いているのは、ゴッホなんだけど
それぞれ作風がぜんぜんちがう。

同じ年に描かれていたものでも、
タッチがちがったり、色がちがったり、
角度がちがったり、明るさがちがったり。

絵を観てもらいたいたかったんだけど、
写真撮影NGで、写真はありません。ソーリー。

多くの人は、ある程度、描いているうちに、
自分の型を決めてしまうものです。
ああ、これのほうが魅力的だなあとか、
ああ、これのほうが描きやすいなあとか。
でも、ゴッホは違ったみたいです。

自分の型をはやく決めずに、
多くの可能性を信じていたように感じます。

きびしいことを言えば、
だから、売れなかったのかもしれません。
人間は、わかりやすいものに、
価値をつける生き物だから。

「この人は、こんな絵を描く人」。
そういう、わかりやすい型があったほうが、
作品が買われやすいし、
展示に誘われやすいのは、たしかです。

でも、自分の型を決めずに、
やわらかく生きたゴッホの絵と生き方に、
ぼくは、魅力を感じずにはいられない。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
ゴッホは、圧倒的な量の人でした。

このときの場所/オランダ アムステルダム
現在地/アメリカ アリゾナ

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