「わたしを信じるな」

この言葉には球体のようなおもしろさが
あることを発見しました。

「わたしを信じるな」

この言葉そのままを受け入れると、
わたしのことを信じない態度をとるだろう。

しかし、「わたしを信じるな」と言葉を放つ
「わたしそのもの」を信じないとすれば、
信じていない人の言葉も信じないのだから
わたしを信じることになる?

こういう逆説を、「パラドックス」と言う。

ぼくは、窮屈な正しさがきらいだ。
たとえば誰かが「わたしはおにぎりが好き」とツイッターでつぶやいたとしよう。

すると、こんなコメントが入ったりする。
「どれほどおにぎりのこと知ってるの?」
「おにぎりの歴史をご存知ですの?」
「えっ、その程度のおにぎり好きで
おにぎりを語らないでください」

まあ、おにぎりでこんな批判は
受けないだろうけどね。
今だとサッカーを語るとこうなるかもしれない。

でだ、ぼくが思うのは、
それくらい「自由でいいじゃん」。

たとえおにぎりのアマチュアでも、
好きにおにぎりを語ってもいいじゃん。
たとえ間違った認識であっても、
独自のおにぎり理論を語ってもいいじゃん。

しかし、「自由でいいじゃん」と発すると
批判する側だって自由に発することを
認めなければならないのだ。

これが、いわゆるパラドックスってやつだろうか?
いやあ、パラドックス、、、ドッグス。

そういえば、コスタリカのホステルに
泊まっていたときのこと、キッチンで
犬がゴソゴソやってるなあと思っていたら、
犬がキッチンからこんな姿ででてきた。

パラドックス

誇りをもってライオンのたてがみのように
首につけているのは、ゴミ箱のフタです。

小難しそうなパラドックスは、
たのしそうにしっぽをブンブンとふってる犬、
「ワラ(笑)ドッグス」には勝てないよね。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
小難しいことよりも、犬のように
しっぽふりながら好きなものを好きに語ろ。

このときの場所/コスタリカ
現在地/ハンガリー ブダペスト

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