人はなにかと分けたがる。
オトコとオンナを分ける。
コドモとオトナを分ける。
与党と野党を分ける。
既婚者と未婚者を分ける。
日本人と外国人を分ける。
ちがいを示す言葉が出回っている今、
あれもこれも「分けるな」と言うのは、
無理があることはわかっています。
でも、根っこは同じ人間ってことは、
忘れてはいけない。
ルワンダのキナジにあるニャマタ教会
(Nyamata Church)に行った。
1994年4月に、この場所では、
フツ族によってツチ族の人びとが殺害された。
この場所だけでも、一夜にして
1万人以上亡くなったという。
電気のついてない教会に入った瞬間は、
いやあな感じはしなかった。
教会のトタン屋根には無数の穴が空いていて、
その穴からきれいな光が差し込み、
プラネタリウムの星のように
美しいとさえ感じてしまった。
だけど、その感覚は間違いでした。
その数えきれない穴は、
屋根に登ったフツ族がツチ族に向かって
銃弾を放った痕。弾痕だったのだ。
教会の中に何列にも並べられている椅子には、
泥のついたとてつもない数の古い衣服が
積み重ねられている。
殺された人びとのアクセサリーや髪の毛、
ポケットに入っていたお金なんかも
ケースに包まれずそのまま展示されている。
その日、この場所にたしかに人がいたんだ。
そう思ってからは、全身にいやな鳥肌が
立ちっぱなしだ。
教会の見学を受付けしてくれたツチ族の
モベルヤさんに話を聞いてみた。
彼は当時11歳で、隠れきることができて、
奇跡的に生き残ることができた。
「家族も助かったの?」と聞いたら、
家族は54人も亡くなったと言う。
フツ族は、フランス軍から銃の撃ち方など
訓練のサポートを受けていたこともあって
ヨーロッパへ移った人もいるが、
多くはルワンダで一緒に暮らしていると言う。
「ぼくだったら彼らを許せないけど、
あなたは彼らを許せますか?」と
こころに浮かんだ質問をそのまま投げかけてみた。
「許すことは簡単じゃないね。
誰が家族を殺したかわからないし、
ぼくはジャッジすることはできない。
正義が彼らをジャッジするよ。」と
目に涙を浮かべながら彼は言った。
こっちにも涙が伝染する。
伝染する涙は、エーンエーンと
赤ん坊のように流す涙ではなくて、
多くはガマンしながらこぼれ落ちる涙だ。
大虐殺が起こった当時、
自分の所属する部族の記載されたIDカードを
作らされたくらい、ツチ族とフツ族に、
見た目の違いはなかったと言う。
彼が最初、ぼくに自己紹介したとき
「I was tuti」と言った。
つまり、今のルワンダでは、
ツチ族とかフツ族と分けないのだ。
全員、ルワンダ人。
つまり、どちらも同じ人間ってこと。
このことに早く気づけていたら、
大虐殺はなかったかなあ。
そんな簡単じゃないのかなあ。
「人間ひとりひとり違うんだ」という
多様性が語られる時代になれば、なるほど、
人の個性や属性、キャラクターなどを
分けて、分けて、分ける。
でも、いや、だからこそ、
「どの人間も、深い根っこの部分は
同じ人間だってこと」を忘れちゃいけない。
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
ぼくらはちがう。でも、根っこは同じ。
だから、おもしろい。だから、うれしい。
このときの場所/ルワンダ キガリ
現在地/日本一時帰国
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