なぜ、自分の国の政治を褒める人に
なかなか出会わないのだろう?

「私の国の政府って最高なのー」って人を、
日本人を含め、まだ出会えていない。

どんなものにも、多少の弱点はあるにしろ、
政府ってやつは、おかしいぞ。

フランス人のニコもそんなことを思うひとりで
「フランスは、50億ユーロもの自国でつくった
武器を海外へ売って、誇らしげに喜んでいる」
ということを批判していた。

戦後に日本が経済発展した理由のひとつに、
他国に武器を売っていたと聞いたことがある。
今考えれば、全くもっておかしなことだ。

自国には「平和」に関する慰霊碑なんかを
建てて平和の大切さを謳っているのに、
他国には「戦争」を誘発するような
武器を売っていたんだから。

なんで、政府ってやつはおかしいのか、
ぼくの全く素人な、小学生レベルの考えを
披露させてくださいな。

そもそも、日本の場合、
政治家と呼ばれる人びとは、
小学生が学校で先生に教えられてきたことを
やっていなかったりする。

人の話を最後まで聞きましょうとか、
相手のいい点を褒めましょうとか、
居眠りしないようにしましょうとか。

もちろん、相手の意見のいいところを拾って、
構築的に話す、すばらしい政治家も存在する。

ぼくが小学生の頃だったか、
テレビに映る国会の映像を観て、
なんて政治家はメチャクチャなんだと思った。
その時の議論では、人が喋っているときに、
大の大人が大声を出して相手の話しを
邪魔をしていたのだ。
小学生でも、観たことがない幼稚さだった。

小学生が先生に教えられてきたことを
堂々とやっていない集団が、
国の大事なことを決めている。
まことに、おもしろい状況ではありませんか。

で、ぼくがやりたいのは、批判より創造でして
批判ばかりしているのは趣味ではない。
ひとつ壊したいバイアスあるので、
政治がよくなるような問いを紹介します。

「党って枠組み、ほんとうに必要なのかな?」

自由民主党、立憲民主党、民進党、希望の党、
公明党、日本共産党、日本維新の会、自由党、
社会民主党、日本のこころ、沖縄社会大衆党と、
いろんな党が存在する今の日本。

そもそも、議論って、相手の意見と、
自分の意見をキャッチボールのように
言ったり、聞いたりを繰り返しながら、
少しづつ互いの意見が変化していき、
よりよいものを見つけていくものだ。

ただ、違う党同士の議論を観ていると、
日本をよくする仲間同士のはずなのに、
敵対しているもの同士かのように
話しているではありませんか。

それが党としての意見であれば、
相手の意見にいいところがあったとしても、
党の代表のように語り、
意見を変えようとしない姿勢はどうなんでしょ。

ぼくの素人なアイデアは、
政治に党という枠組みをなくして、
党に属さないひとりひとりが集まり、
チームとして活動してもらうこと。

国民が「この人は信頼できる」という
個人を選び、選ばれた人びとが集まり、
「それはいいね、それはちがうよ」と
意見をキャッチボールしながら、
仲間として動く人びとが国の大事なことを
決めていくという仕組みだ。

党の代表として議論してもらうんじゃなくて、
日本や世界の代表としてそこにいると
実感してもらうことが、
よりましな世界につながるんじゃないかな。
素人なぼくはそう思うよ。

党という枠組みがいつの時代からできたのか、
どんな理由で生まれたのか知りない。
くわしい人、教えてくださいな。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
ぼくらはひとつのチームでしょ。

このときの場所/ナミビア
現在地/日本一時帰国

にほんブログ村の「旅行ブログ」に参加しています。
よかったら、「見たよ」のあかしに、世界一周バナーをクリックして下さい。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ 1日1回のクリックが応援になる仕組みです。