「タージ・マハル」って、お墓なんです。
知ってましたか?
そんな「タージ・マハル」には、
毎日たくさんの観光客が足を運んでくる。
みんながお墓の周りでニコニコと写真撮影
しているのも、なんか不思議な光景です。
この彼なんか、「タージ・マハル」の前で、
こんなかっこいい決めポーズ。
モデルじゃないのに、いつ学んだんだい、
そのセクシーポーズ?
一般男性のモデル偏差値が高いインド。
「タージ・マハル」の隣の塔では、
床がひんやりしてるために、インド人がぐっすり。
ここ、お墓だぞ。ここ、世界遺産だぞ。
なんでアーグラにお墓を作られたかというと、
皇帝が奥さまのためにつくったんだと。
デリーにある「フマユーン廟」はその反対で、
奥さまが皇帝のためにつくったんだと。
そもそも、
「人間は、なんでお墓をつくったのだろうか?」
宗教とかルールとは関係なく、この場で
勝手に遊びのように考えてみるとしよう。
亡くなった人の気持ちを考えると、
一緒にいた人に忘れられるのって、
やっぱりさびしいんですよね。
身体が抜け殻になったとしても、
死後に精神があるかどうかわからなくとも、
家族や仲間に忘れてほしくないから、
お墓をつくるんじゃないかなあ。
残された人の気持ちで考えると、故人のことを
片時も忘れないってのは無理があるんです。
映画やドラマ、舞台なんかで、
かっこいい主役が、ヒロインに対して
「君のことを、片時も忘れないよ」と
言うようなシーンがあったとしても、
勉強したり、家事したり、働いてる中で、
片時もっていうのは、
ハードルが高いじゃありませんか。
片時も忘れないでいるのは、
むずかしいんだけど、お墓の前に行けば、
確実に故人を思うことができる。
お墓は、足を運ぶことで
「故人を思える場所」なんだろうね。
特に、驚きのある結論ではないんですけどね。
命日だったり、8月にある終戦記念日なんかも、
忙しい毎日からちょっぴり抜け出して、
「故人を思える日」なんだろうなあ。
でね、この広い世界には、鳥葬なんてのもあって、
お墓をつくらずにハゲタカに遺体を食べてもらう
民族(チベットの一部)も存在する。
インドのバラナシでも、遺体や遺灰を
ガンジス川に流していたっけか。
そんな故人は、どこへ行ってしまうのだろう。
どう、思ってもらうのだろうか。
吉本ばななさんと宮本 輝さんの対談が
収録されてる『人生の道しるべ』という本で、
宮本さんが死について誰かから聞いた話をしていた。
その人は、死を万年筆の青いインクに例えていて、
最後のインクの一滴は海に垂れるのだという。
インクが海に垂れた瞬間は、海が青くなる。
やがて、海はもとの色に戻る。
それでも、そのインクがなくなったわけではない。
確実に海の中に存在するんだと。
この話、亡くなる人にとっても、
残される人にとっても、いい話ですよね。
お墓があっても、お墓がなくても、
亡くなった人の青いインクは、
ぼくらの海にいるんです。
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
お墓は、海に垂れたインクが濃く見える場所かもしれないね。
このときの場所/インド アーグラ
現在地/アゼルバイジャン バクー
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