バラナシのガンジス川横にある火葬場の階段に、
1時間ほど腰をかけていた。
遺体が焼かれ、煙が立ちのぼり、灰が舞うなか、
この場所を、いろんな人やいろんな動物が
行き交っている。
竹でできたタンカーにのった遺体を肩に担ぎ運ぶ人、
ラッパや太鼓で明るい演奏をしている人、
遺体を燃やすための薪を運ぶ人、
遺体に撒く木の枝を斧で切っている人、
遺体の周りに粉状の顔料で図を描く人、
燃やし終わった薪を運ぶ人、
灰をガンジス川に流す人、
手漕ぎボートで遺体を川へ運ぶ人、
遺体に川の水をかける人、
亡くなった方のご親族、
そして、それを見ている人。
この場所から30mほど歩いた場所には、
トランプをして遊んでいる人や、
川で沐浴や洗濯をしている人がいる。
動物もいる。
遺体に装飾されていた花を食べている牛、
木を散らかして人間に怒られているヤギ、
灰を浴びながらぐっすりと眠り
横隔膜を膨らんだり萎んだりさせている犬。
死というと、悲しみの淵のようなイメージだが、
遠くからでもわかるような泣いたり、
叫んだりして、悲しんでいる様子はなかった。
もちろん、悲しみはあるはずだ。
たぶんだけど、生まれ変わりを信じていたり、
ガンジス川で葬儀を行えることは幸せなこと
という宗教的な考えが、彼らを支えているのだろう。
こんな人間の最後の場所にも、
うつくしいと思える光景がいくつもあった。
隣にいた10代後半くらいで灰色のシャツを
着た男の子は、燃えていく遺体に、
ひとり目をつむってずっと手を合わせていた。
たぶん、亡くなった人と、
他の人には聞こえない会話をしていたのだろう。
10歳くらいの上半身裸でパンツを
反対に履いていた男の子は、
ガンジス川に入りながら、
亡くなった人の足元に丁寧に川の水をかけていた。
何度も、何度も。
どのような違いがあるかはわからないが、
遺体は、薪と一緒に燃やされる人と、
燃やさずにガンジス川に流される人がいた。
ボートで遺体が川に運ばれ、流されたとき、
親族みんなが川に入り出し、沐浴をして
お祈りをささげていた姿もうつくしく思えた。
前の右脚をケガして曲がってしまっていて、
3本脚で歩いていたヤギを、
かわいそうに思ったのか、
ケガしている脚を撫でてあげている人もいた。
ヤギもその人を信頼して離れないでいる。
声は聞こえないけれども、
この場所にいるみんな、みんな、
静かにいろんなことを思ってるんだろうなあ。
それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
あなたにも見てほしいバラナシの火葬場。
このときの場所/インド バラナシ
現在地/ネパール
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