今週は、『勝手に梅棹忠夫さんWEEK』というとで、
小長谷有紀さんが編集した『梅棹忠夫のことば』から、
コトバをお借りして、いろいろと考えてみたいと思います。

情報というのはコンニャクのようなもので、情報活動というのは、コンニャクをたべる行為に似ています。コンニャクはたべてもなんの栄養にもならないけれど、たべればそれなりの味覚は感じられるし、満腹感もあるし、消化器官ははたらき、腸も蠕動運動をする。要するにこれをたべることによって、生命の充足はえられるではないか。情報も、それが存在すること自体が、生命活動の充足につながる。情報活動の充足につながる。情報活動が、べつになにかの役にたたなくても、それはそれでよろしい。世のなかには、なんにもならない情報が無数にある、それでいい、というわけです。

コンニャクは好きですか?

ぼくは、子どものころは、
あまり好きではありませんでしたが、
年を重ねて、おいしいなあと思ってきました。
おでんのコンニャクっておいしいですよね。

情報もそうです。
子どものころは、好きか嫌いかというより、
どうでもいいなあくらいに思っていたのですが、
年を重ねて、おもしろいなあと思いはじめました。

梅棹忠夫さんが、このコトバを放ったときよりも、
この情報(コンニャク)の存在感は増しています。
おでんでいうダイコンとまではいかないけど、
それに近い地位を獲得してるんじゃないでしょうか。

ここで、コンニャクの豆知識をひとつ。
コンニャクはコンニャク芋から作られる加工食品です。
そのコンニャク芋の栽培法が確立したのは、
わりと最近で、昭和30年頃といいます。
それまでのコンニャク芋は、育てるのが困難なため、
栽培できるかどうか運任せで「運玉(うんだま)」と
呼ばれていたようです。

今日の文章も収穫があるかどうか
運まかせで書いてます。運章です。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
なんの役にたたない日もあります。