犬(カヤ)にギュっと抱きついてみると、
しばらくは、腕のなかでじっとしているのですが
すこし時間がたつと「もういいかな」と、
腕を鼻でぐいっとふりはらって、
コトコトとどこかへ歩いていくのです。

おいおい、いつも甘えてくるのに、
こちらが甘えてみると、その態度かい。
そっちがそのつもりなら、こっちだって
撫でてやらないからなと思っていても、
近づいてきたら、やっぱり撫でしまう。
完全に転がされているではありませんか。

なんでこんなことを書いたかというと、
「犬だって、自由がほしい」と
思っているということを言いたかった。

首輪をつけられて、たいていの犬は
リードをつけられながら散歩をしている。
飼い主の歩幅に合わせて歩く犬。
待てと言われたら、ヨシと言われるまで動かない犬。
そんな犬にだって、自由でありたい意思がある。

だから、好きだっていう気持ちを表現して
ギュっと抱きしめてもいいけど、
犬が自由に逃げる余白は残しておいてあげる。
どこかへ行きたい、動きたいと思っていたら、
そっと手を緩めてあげる。

これは、人間にも言えるんじゃないかと思うんです。

好きで仕方ない彼女、彼氏だとか、
愛してやまない娘、息子だとかを、
他の誰のものにもしたくないから束縛したり、
過保護になってしまうかもしれない。

でも、好きの対象が、ちょっと動きたいなと思っていたら、
その手をやさしく緩めてあげるやさしさみたいなものが
あったほうが、いい関係になるんじゃないかと。

それは、「別れたい」と言われたら、
手を離して「別れなさい」ということではなく、
相手が、大なり小なり「自由を求めている」ことを
わかりながら、相手をあたためるということが
できたならば、どんなにすばらしいかということ。
言うはヤスシ行うはタカシ。ですが、
こんなコンビ名の2人がいたらいいなあ。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
可愛い子には旅する自由を与えてもいいなじゃない?