違いも、同じも、おもしろがれるという意味で、
ぼくは、変と普遍ということばをよく使うのですが、
ぼくが思う「変」ということについて、
「ああ、この説明の仕方は、わかりやすいなあ」と
思った表現が、永六輔さんの書く本
変だと思いませんか?』(PHP文庫)に
記述されていたのでご紹介します。

まあ、つまり早い話が、関係のない全く別々の男と女が一緒に暮すっていうのも変なことだし、そして子供が生まれて、その子供に親の趣味趣向を押しつけるのも、まあ変なことだし、ということなんですね。
ですけれども、夫婦は変だ、親子は変だというふうに言ってしまうと、これは夫婦も親子も、あるいは暮しっていうものも成立しなくなってしまう。この「変だなあ」と思いながら、その「変だな」という部分を呑み込んでしまわなければいけないというのが、ぼくは毎日の暮しではないかっていう気がします。
もちろん、同じ変なことでも、他人に迷惑な変というものは、つまりみんなで変えていかなきゃいけない。でも、他人に迷惑にならない変というのは、むしろ言ってみれば楽しいこともいっぱいありますので、そのへんで「ヘン」っていうのを考えていただければと思います。

1988年に書かれた言葉なのに、
普遍的な言葉だから、今でも全く色褪せてません。

永さんは、変(ヘン)には他人に迷惑な変と、
他人に迷惑にならない変の2種類あることを
教えてくれています。

それらを混同して、「変」=「悪」と
思うのは、ちょいと、早とちりで、
ぼくがおもしろがれるという言い方をしている
「変」は迷惑のかからない方です。

「それって変だよ」と友達に言ってもらえた時は、
迷惑のかかる変か、迷惑のかからない変か、
自問自答するといいかもしれません。

迷惑のかかる「変」だと思ったら、
少しづつ変えていった方がいいですし、
迷惑のかからない「変」は、楽しいものなので、
ドンドン極めればいいと思うのです。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
まあ、迷惑を全くかけずに生きることはできないですよね。