やっと都市部に戻ってきました。
ここ、Wi-Fiとんでます。
でも、明日からまたWi-Fiのとんでない場所に
移動するので、また間があきます。

気分屋のWi-Fiお嬢様に翻弄されています。
Wi-Fiお嬢様のご機嫌がいいうちに、
バスに乗ってて、思いついたことを書くとしよう。

エチオピア南部を回っていたんですが、
それはもっとさきに書くとします。

なんだか、「らくになる」と、
「らくをする」っていうのは、
大きく違う気がするぞ。

これは混同しちゃうとまずいなあと思って
メモのように記す。
「わたしは、そんなこと思わないは」
という意見も、もちろんウェルカムよ。

「らくになる」ってのは、
存在としての「Be」だ。

「らくをする」っていうのは、
動きとしての「Do」だ。

「らくになる」「らくになってもらう」ってのは、
どうやら大切なようものに感じられる。

学校でいじめられている子どもの
心がらくになるように、
図書館で働いている人が、
「学校がいやなら、今日は図書館に遊びに来なさい。」
と声をかける。

黒い髪でなく、茶色い髪をもって生まれた女の子が、
先生に差別されるなか、クラスメイトが
「その髪の色、わたしは好きよ。」
なんてことを言えば、彼女のこころをらくになる。

まだまだ、たっくさんあると思う。
緊張しているときに、ゆっくり深呼吸をする
ことなんかも、らくになることかもしれない。

「らくになる」からは、こころが圧縮しているときに、
空気を入れて膨らませるようなイメージが
見えてきたぞ。
体温のような、あったかみを
感じるではありませんか。

いっぽう、「らくをする」ってのは、
どうだろうか。

おばあちゃんの買い物の移動がらくできるように、
バスが村にやってきて街まで送迎してくれる。

うん、うん、これはあったかいぞ。
自分のために、「らくをする」を使ったら、
どうなるだろうか。

体力を鍛えるためのランニングがつらいので、
らくをするために、本気を出さないでおく。

あ、あれ、なんだかまずい方向にいってるぞ。

根性論とかではなく、体力を鍛えるための
ランニングなんだから、多少のつらさは、
あたりまえ。
そのときの自分の本気を出すことで、
少しづつ、同じ距離を走ることが、
らくになっていくのだ。

そう考えると、今、「らくをしない」ことが、
未来を「らくにする」のかもしれない。

そういえば、「老後らくをするために、
今のうちにがむしゃらに働いて、お金を貯める」
なんてことは、世の中でよく言われてるもんね。

結局、ぼくはなにが言いたかったのだろうか。

らくをすればするほど、あなたは、ぼくは、
からだが、あたまが弱くなっていく。

らくになればなるほど、あなたは、ぼくは、
こころが膨らんでいく。

自分はらくしないで、
人にらくになってもろうことしよう。
からだもあたまも動く、
それぞれのヤングなうちくらいはね。

らくせず、たのしもう。

まだまだ考え中だけど、
今日のところは、そんなこととしよう。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
「自分らしく生きる」ってのは、
「自分らくして生きる」とは違うよね。
「らしく」、「らくし」、似てるけどね。

このときの場所/エチオピア
現在地/エチオピア メケレ

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