アゼルバイジャンのバクー都市部で
バスやメトロ(電車)に乗るさい、
東京でいう「Suica」のような
お金をチャージしたカードが必要になる。

カードを買おうと販売機の前に立っていると、
メガネをかけた40代後半くらいのおじさんが、
こうやるんだと、カードの買い方を教えてくれた。
やさしいや。

今度は、販売機の前でカードにお金を
チャージしようとシドロモドロしていると、
チャージしようと販売機に置いていた
カードをどかされ、
30代くらいの男性に割り込みされた。
きっびしいや。

その次に並んでいた20代後半くらいの
背の高い中東系の顔をした人が、
自分の持ってるコインを販売機に入れて、
ぼくのカードにチャージをしてくれた。
いやいや、ぼくのコインを返すよと言っても、
いらないと言う。
やさしいや。

世の中にはやさしい人もいるもんだ、
握手してお別れ、と思ったら、
そのチャージしたカードで、
その人のバス代金を支払えということらしい。
その人の乗るバスまで一緒についていき、
カードでピッとして、支払いをすませる。
なんだ、ちみは。

自分のなかに、いい人、わるい人、変な人が
いるように、世界にもいい人、わるい人、
変な人がいますねえ。

で、こっちが本題なんだった。
バクーのメトロやバスに乗っていると、
男性が席を譲るシーンを多くみかける。
その反射神経たるものや、卓球の選手レベル。
ドアから乗ってくるなと思ったら、
もう席をたっている。

男性はお年寄りにだけに席を譲るんじゃなくて、
同い年の女性にまで席を譲っている。
まあ、やさしいこと、アゼルバイジャン人。
これは、やさしさというよりも、
その手前にやさしさが溶け込んだ
文化があるんだろうなあ。

で、そういうな文化の中にいるためか、
見ていると、席を譲られる側の人が、
あんまりお礼を言ってないように感じる。

昔、友だちと車に乗ってラジオを聴いていたら、
仏教の女性僧侶がゲストでお話しをしていた。
その人が、ラジオで「ありがとうの反対は、
なんだかわかりますか?」と問いかけをした。

ありがとうの対義語わかりますか?

「どういたしましてでも、
No thank youでもありません」と言う。

なんだなんだと思ったらこう答えたんです。「ありがとうの反対は、当たり前です」と。

ああ、なあるほどなあ、とそのときは、
友だと笑って聴いてたんだけど、
これは、ただの本当だよね。

そこにあるやさしさを当たり前にしちゃうのは、
惜しいよね。

吉本ばななさんが、旦那さんと接するときに、
他人として接する部分を残している、
というようなことを本で読んだことがある。
今はどうかわからないが、そのときは、
旦那さんと籍をいれずに生活をしていて、
明日お別れもできる状態にしていたんだという。

理解できない人もいると思うけど、
これもやさしさを当たり前にしない、
一工夫なんだと思う。

それでは、今日も、明日も、明後日も、いい1日を。
当たり前じゃなくする一工夫必要だよね。

このときの場所/アゼルバイジャン バクー
現在地/トルコ カッパドキア

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